※ADHDの男性の仕事の体験談です。
Contents
- 1 おさらい:注意欠陥/多動性障害(ADHD) とはそもそも何か
- 2 ADHDさんの性別・年齢
- 3 ADHDさんの性格は温厚で真面目だけど・・・
- 4 このADHDさんはマルチタスク、模倣(真似)が苦手で協調性運動障害併発
- 5 子ども時代の症状、ADHDだと認識したきっかけ、やっているADHD対策
- 6 塾講師として働き始めて困ったことは「喋りながら黒板に字を書く」
- 7 過去、最も仕事が「合っているな」と思った職業は塾講師は塾講師でも、個別指導塾の講師
- 8 過去、最も「合わない」と思った職業も塾講師。ただし集団指導型の塾講師。致命的な理由は・・・
- 9 ADHDさんの生じた二次障害は、発達性強調運動障害が知られていないことによるものがメイン
- 10 現在のADHDさんの状況は?ADHDを乗り越えて働く秘訣は?
- 11 転職先の社訓や職場の雰囲気を調べる方法
- 12 オススメ記事
おさらい:注意欠陥/多動性障害(ADHD) とはそもそも何か
ADHDとは「注意欠陥多動性障害」の略称です。大きくわけて、不注意型、衝動型、多動型の3タイプがあります。
ADHDの人数は「男の子の方が3倍から5倍ほど女子より多い」と言われていますが、女子は不注意型が多いというだけで見つかりづらいだけとも。不注意型は子どもの頃にはあまり見つからず、ただ不注意なだけなので、学力的なレベルも悪くはありません。ADHDの人たちは、むしろ興味があることに対しては素晴らしい集中力を発揮することもあります。
不注意型の症状が顕著に出てくるのは、ミスが許されないような事務職などの仕事に就職したときです。そのため、子どもの頃はボチボチ成績もよかったけれども、仕事をし始めてから怒られ「発達障害」や「ADHD」という言葉を知って調べてみると「あ、当てはまる…」となるケースが増えています。ADHDの人は、何度も同じミスをしてしまうため、周囲からは「やる気がない」「さぼってる」と思われやすいです。自己肯定感が低くなり、うつなどの二次障害が発生する可能性が出てきてしまいます 。
ADHDさんの性別・年齢
男性・20代
ADHDさんの性格は温厚で真面目だけど・・・
僕は、温厚な性格で、理不尽に他人を叱ったことはありません。親族からは、物静かな人だけれど、プライドの高い人だと言われたことがあります。自分では、とても真面目な性格だと思っています。ただ、身内、特に弟の罵詈雑言に関しては、怒りが沸き立って、でも、言葉にして伝えるのが苦手なため、つい手が出てしまうこともあります。

このADHDさんはマルチタスク、模倣(真似)が苦手で協調性運動障害併発
マルチタスクが苦手なことです。例えば、電話の応対をしながらメモを取ることが上手くなかったり、上司の方に説明されているとき、必死にメモを取るのですが、そのせいで内容が全く分かっていなかったりしたことがあります。他に、人の模倣をすることも嫌いで、同じようにやってくれ、と言われると、どうしてもその気になれませんでした。体が動こうとせず、その姿は周囲には無気力・やる気がない、と思われるようです。
僕には、協調性運動障害もあり、そのせいで高校では体育の先生に罵倒される3年間を送りました。

協調性運動障害は、よくキャッチボールに例えて説明されますが、ボールが飛んでくるのを見ながら手を動かし、さらにキャッチ、みたいな一連の動作が上手くできないことですね。自転車とかだとバランスを取りながらハンドル操作をしつつさらにペダルを回す。体育だと確かに厳しそう。
子ども時代の症状、ADHDだと認識したきっかけ、やっているADHD対策
基本的に、現在でも自分ひとりで遊んでいることが多いです。幼稚園の頃は、プラレールが好きでした。その年齢からすると、かなり複雑な路線を作っていたそうです。
また、靴を履き替えるのが嫌で、履いている靴がどれだけボロボロになっても、新しい靴に履き替えようとしませんでした。普段着ていないものを着るのが嫌いで、七五三の時も、両親は僕に服を着せるのを諦め、普段着で映っています。
僕が自分をADHDであると知るきっかけは、大学院に通っていた頃のことでした。この時期、僕は指導教員と対立、激しい口論となり、研究室を出ることになり、自宅に引きこもっていたのでした。その後、親にひっぱりだされて精神科を受診、ADHDであるでいう診断結果を受け取り、自分がそうであることを知りました。

塾講師として働き始めて困ったことは「喋りながら黒板に字を書く」
就職に最も苦労しました。最初、難関大学を目指す高校生が通う予備校に就職することに成功したのですが、僕の障害があってはここでは働けないことを悟り、試用期間で退職することになりました。
まず、この塾には「すべての講師の授業は同じ水準であるべき」という社訓があり、入社した僕は、まず「先輩の授業を見てそれを完璧に模倣すること」を求められました。
僕は人の真似ができませんから、そこでまずアウトでした。また、実際に模擬授業を行った際、声を出しながら黒板に字が綺麗に書けないことも、大きな問題でした。口を動かしながら、綺麗な字で素早く字を書くということが、私の障害ではできなかったのです。これは、ADHDというより、協調性運動障害のせいでした。

過去、最も仕事が「合っているな」と思った職業は塾講師は塾講師でも、個別指導塾の講師
一時期、アルバイトで経験した、個別指導塾の講師が、自分には一番合っていたな、と思います。僕は昔から、学校の勉強はとてもよくでき、自信があったことと、何かの検査を受けた際、丸暗記をする能力がひどく低い代わりに、言語を正しく運用する能力は非常に秀でている、ということがわかっていました。試用期間で退職となった予備校にしても、教えるという一点においては、僕はとても優秀だったはずです。
実際、高い水準の生徒はあまりおらず、大学院まで行った自分にしてはどうなのだろう?という思いもありました。けれど、受け持った生徒たちからは、分かりやすい、と言ってもらえたり、同僚に分からない問題を質問されることもあったのですが、教えてあげると喜んでもらえ、こんな自分でも必要とされているな、と感じられるのが嬉しく思えたのです。そんな感情を持てたため、僕は個別指導の講師は、最も自分に合っていたな、と思います。

過去、最も「合わない」と思った職業も塾講師。ただし集団指導型の塾講師。致命的な理由は・・・
集団指導をする塾の予備校講師です。先に書いた内容とも被る部分があるのですが、うまく黒板に文字が書けないことは、集団指導をする塾では致命的な欠陥でした。また、全ての講師が同じ水準の授業を提供するという理由の元に先輩講師の授業の模倣をすることは、私にはどうしてもできませんでした。
他に、生徒とのコミュニケーションとして、空いた時間は積極的に生徒と雑談をするように言われたのですが、何を話せばよいのか分からず、儀礼的な「こんにちは」「おつかれさま」以上に、何かを話すことが出来ずじまいでした。どうやら、その雑談は、授業中にも、集中力が切れてきたら、雑談をして、ちょっと雰囲気を和ませてから、また授業を続けるようにという指示をもらっていましたが、これも、全くと言ってよいほど、できませんでした。

ADHDさんの生じた二次障害は、発達性強調運動障害が知られていないことによるものがメイン
高校時代の体育の先生とのトラブルと、大学院時代の指導教員との対立が、僕にとっての二次障がいだと思います。
高校は、偏差値で言えば58くらいの学校でしたが、なぜか以上に体育の授業が厳しい学校でした。僕は縄跳びが出来ないなどの理由で、まるで人格を否定するような暴言を吐かれました。その癖、授業中に居眠りをしている生徒は、起こされるて軽く注意されるくらいなのも理解できず、フラストレーションが溜まりました。当時はまだ、自分が協調性運動障害だと誰も知らなかったため、理解させず、根性が足りないだけだという見方しかされませんでした。親にも相談しましたが、取り合ってもらえませんでした。
それが3年間続き、精神の一部が壊れた気がします。

現在のADHDさんの状況は?ADHDを乗り越えて働く秘訣は?
求職中です。

転職先の社訓や職場の雰囲気を調べる方法
この方の場合、転職・就職する前にその会社の社訓みたいなのとかを吟味した方が良いですね。社訓なんかはウェブサイトなどでも公開されていることが多いです。そういう場に出てこない情報であれば、企業の評判を調べる口コミサイトで入社前に調べることですね。